- 2021-11-16
飾り櫛の選び方・浅草「よのや櫛舗」
創業は享保二年(西暦1717年)、大正初期に文京区から浅草へ継承したという、本つげ櫛専門店「よのや櫛舗」の女将、斎藤有都さんに、飾り櫛の選び方を教えて頂きました 髪の土台がしっかりしていないと合わせるのが難しいのが飾り櫛。女将がとっておきの方法を伝授 […]
創業は享保二年(西暦1717年)、大正初期に文京区から浅草へ継承したという、本つげ櫛専門店「よのや櫛舗」の女将、斎藤有都さんに、飾り櫛の選び方を教えて頂きました 髪の土台がしっかりしていないと合わせるのが難しいのが飾り櫛。女将がとっておきの方法を伝授 […]
「つげ」という木がある。常緑広葉樹の低木で日本では庭木にもよく使われるが、古来、将棋の駒や印鑑などの細工物の材料として重宝されてきた。見た目の美しさはもちろんだが、「つげ」は成長が遅いため、材木は比重が大きく固くなる。加工後の変化が少ないことも愛用さ […]
川面から吹き上がり、夜空を彩る豪快な花火。はたまた、並んで風に揺れるピンクと水色の朝顔…。 暑さ盛りの8月。浅草2丁目で、軒先に涼しげな夏の風物詩が並ぶ、民家のような佇まいの小さな店を見つけた。瓦が乗った軒の更に上には、年月を感じさせる一枚板の看板 […]
創業は享保二年(西暦1717年)、大正初期に文京区から浅草へ継承したという、本つげ櫛専門店「よのや櫛舗」四代目の斎藤悠(ゆたか)さんは、なんと歌手・辻香織さんの小学校の同級生辻香織さんが、「本つげ」ならではの魅力に迫ります。
「はじめチョロチョロ、なかパッパ…赤子泣いてもふた取るな」 かまどで米を炊く極意として口承されてきたこのフレーズが、頭の中に流れ出す。それは、釜飯の炊き上がり想像しながら待つ至極の時である。 雷門から浅草寺に向かって歩くと、細い路地の角地に旅館のよう […]
創業は享保二年(西暦1717年)、大正初期に文京区から浅草へ継承したという、本つげ櫛専門店「よのや櫛舗」の女将、斎藤有都さんに、本つげ櫛の選び方を教えて頂きました リポートはお馴染み、歌手・辻香織さん。なんと「よのや櫛舗」のご主人は小学校の同級生なん […]
仲見世通りから横に走る雷門柳小路という風流な名の通りには、やはりその名にふさわしい風流な店がある。白い壁から突き出した瓦の下に構える、美しい格子の玄関。ひらひらと風に揺れる少し色落ちした紺の暖簾(のれん)には「文扇堂」という文字が白く抜かれていた。 […]
ある程度の年齢を重ねた人ならば、一度は聞いたことのあるこのカクテル。初めて口に含んだ大多数の人が、先ず「んんんっ」と唸り、その後「ああ、なるほど」という文字を頭に浮かべるのではなかろうか。 細身で背の高いショットグラスに入った透き通った琥珀色の液体 […]
コロナ禍の影響で、2年間通常開催がされていない浅草の「三社祭」 浅草の人々にとっての「三社祭」の存在とは? 「魂のバトン」が存在するというのは、浅草の熱血男子・串焼き・釜めし「麻鳥」の4代目雑賀重昭さん。五代目の激白でお届けする「浅草三社祭の真実」 […]
浅草で創業51年、串焼き・釜めし「麻鳥」は、季節ごとの旬の食材を使った釜めしを提供するコダワリの釜めし屋さんです。そのコダワリ方を4代目雑賀重昭さんに、浅草生まれ浅草育ちの歌手、辻香織さんが聞いてみました。
親子で三代 浅草でてぬぐいを作り続ける「ふじ屋」の三代目・川上正洋さんは、幼い頃から大好きだった場所が浅草にある。両親がどんなに素敵なところへ連れて行ってくれても、大好きな場所は浅草の○○○○○、それは今も変わらないと言う。