ある程度の年齢を重ねた人ならば、一度は聞いたことのあるこのカクテル。初めて口に含んだ大多数の人が、先ず「んんんっ」と唸り、その後「ああ、なるほど」という文字を頭に浮かべるのではなかろうか。
細身で背の高いショットグラスに入った透き通った琥珀色の液体。キンキンに冷えた中身のせいで、グラスの肌が細かな汗をびっしょりとかいていた。グラスを手にすると指先がひんやりと心地良い。そのトロリとした液体を口に流し込むと、煮詰めたシロップのような芳香が鼻腔にひろがり、しびれるような重い刺激が舌全体に走った。
浅草の名物、デンキブランである。
たった一度飲んだだけでも「ああ、なるほど。これがあのデンキブランか」と、“通”になったような気にさせる味とネームバリューを持つ不思議な酒でもある。
デンキブランを出すのは、明治時代に創業した「神谷バー」。さて、その「神谷バー」を訪ねてみた。
東武鉄道の浅草駅を出てすぐ、馬道通りと雷門通りが交差する西の角に位置する。窓が大きいタイル貼りのレトロなビルだけで、風格は十分だが、創業は1880年というから、上戸たちに140年間も酒をふるまい続けてきたという事実に素直に驚く。これまで一体、何人を沈没させてきたのだろう!
バーはビルの1階。入り口の脇にあるレジで、食券を買って、その券を持って好きな席に座れば、店員さんがやってきて、品物を運んでくれる仕組みらしい。バーとは思えない、老舗ならではのしきたりに、一瞬戸惑う。
先に入ったお客さんが、微塵の躊躇もなくその流れにのり、注文を始めたので、自分以外の客が全て常連に見えてきて、固くなってしまった。しかも、レジで食券を売っているおじさんがテノール歌手みたいな服装をしていて、さらに緊張が走った。
勇気を出してデンキブランを飲んでみようと注文するが、クレジットカードが使えないと言われてしまい、いきなり出鼻を挫かれた。しかし、おじさんは嫌な顔を見せず、「2階ならカードを使えますよ」と教えてくれた。テノールおじさんは実は優しかった。
というわけで「神谷バー」ではなく入り口の脇にある白い螺旋階段を上って、2階の「レストランカミヤ」でデンキブランを頂くことになった。「レストランカミヤ」も「神谷バー」も同じメニューのようなので大勢に影響はない。ちなみに3階は「割烹神谷」という、ダジャレのような多角経営が許されるのも、老舗ならではの余裕である。
クレジットカードが使える「レストランカミヤ」に座って飲んだのが、冒頭のデンキブランである。300円。デンキブランのブランはベースとなっているブランデーから取ったということなので、当然ながらブランデーが入っている。その他、ジンやワインも入っている。アルコール度数は30度といい、はっきり言えばグラスの中でチャンポンしているカクテルだから、飲みすぎると感電死するに違いない。
「神谷バー」が老舗バーなら、「レストランカミヤ」は、なつかしの洋食屋である。酒好きの目からみれば、つまみに洋食が出る飲み屋である。料理メニューの冒頭には「ビールのお供に」というデンキブラン屋とは思えないラインナップになっているので、ここは遠慮せずウインナーとサラミの盛り合わせとジャーマンポテトを注文した。
店員さんによれば、人気があるのはカニコロッケなどのフライの類。洋食店らしい推しである。店員さんの話に誘われたわけではないが、デンキブランの酔いも手伝って、食べたくなってしまったのがメンチカツ。バリっと揚がった厚い衣と滲み出る肉汁、たっぷりかかったソースの香りが口の中で混じり合った瞬間の満足度は、高カロリー摂取への罪悪感を遥かに凌いだ。
ちなみに地元の神谷バーの“通”によれば、デンキブランをビールに入れて飲む流儀があるらしい。韓国ではビールのジョッキに焼酎入りのグラスを落として飲む「爆弾酒」という飲み方があるが、酒好きはどこでも似たような飲み方を発明するようだ。
「みんなやってますよ」
嬉しそうにそう言われ、試してみたが、味はデンキブラン入りのビールだった。